大判例

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東京高等裁判所 昭和46年(う)426号 判決

本籍並びに住居

神奈川県川崎市新作一三一七番地

川崎民主商工会事務局員

平山忠一

昭和一一年五月二八日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四一年三月二六日横浜地方裁判所が言い渡した有罪判決に対し、弁護人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検事中野博士、同本田啓昌、同野村幸雄出席のうえ審理をし、つぎのとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山内忠吉、同陶山圭之輔、同増本一彦共同作成名義の控訴趣意書および控訴趣意補充書ならびに被告人作成名義の控訴趣意書各記載(但し弁護人の控訴趣意第一および被告人の控訴趣意第一点中の憲法三八条一項違反の主張は撤回)のとおりであり、これに対する答弁の趣意は東京高等検察庁検事丸物彰作成名義の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用して、当裁判所は本件訴訟記録を調査し且つ当審における事実取調の結果を参酌して、つぎのとおり判断する。

弁護人の控訴趣意(以下弁護人趣意と略称する)第一の一および被告人の控訴趣意(以下被告人趣意と略称する)第一点(憲法三一条違反の主張)について。

原判示の事実関係は福岡和彦が所管川崎税務署長に提出した昭和三七年度分所得税の確定申告(青色申告)について、同税務署が検討した結果、その内容に過少申告の疑いが認められたことから、その調査のため同税務署所得税第二課第一係長として所得税の賦課徴収事務に従事する職員が右福岡に対し簡易帳簿、現金出納帳、納品書、仕切書等の呈示を求めたというものであつて、右職員の職務上の地位および行為が昭和四〇年三月三一日法律第三三号による改正前の所得税法(以下旧所得税法と略称する)六三条所定の各要件を具備するものであることは明らかである。旧所得税法七〇条一〇号の刑罰規定の内容をなす同法六三条の規定は、それが本件に適用される場合にその内容に不明確な点は存しない。憲法三一条違反の主張は、その前提を欠き採用できない。

弁護人趣意第一の二(憲法三五条違反の主張)について。

旧所得税法七〇条一〇号の規定する罰則は、同法六三条所定の収税官吏による当該帳簿等の受忍をその相手方に義務づけ、これを間接的心理的に強制しようとするものではあるが、右収税官吏の検査はもつばら所得税の公平確実な賦課徴収のために必要な資料を収集することを目的とする手続で、刑事責任の追及を目的とする性質のものではないこと、右刑罰は右行政上の義務違反に対する制裁として必ずしも軽微なものとはいえないけれども、その作用する強制の度合いは、それが検査の相手方の自由な意思をいちじるしく拘束して、実質上、直接的、物理的な強制と同視すべき程度にまで達しているとは認められないこと、および所得税の公平確実な賦課徴収を図るためには実効性のある検査制度が必要であることなどを綜合して考察すると、旧所得税法七〇条一〇号六三条に規定する検査は、あらかじめ裁判官の発する令状によることをその一般的要件としていないからといつて、これを憲法三五条の法意に反するものということはできない(最高裁昭和四四年(あ)第七三四号、同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五五四頁参照)。

弁護人趣意第二および被告人趣意第二点(憲法二一条、一二条、二八条違反の主張)について。

証人小沢二郎の原審第三回、同辻弘道の同第四回、同清水豊三の差戻前の当審第二回ないし第四回および同植松守雄の同第六回各公判調査中の供述記載(以後供述と略称する)を綜合すると、従来民主商工会(以下民商と略称する)会員のうちの所得税確定申告の内容に過少申告等の疑いのある者等に対する所轄税務署の税務調査が不十分で、中途半端に終ることが多く、税務行政上問題があつたため、昭和三八年五月ころ当時の国税庁長官から各国税局長宛に民商会員に対する税務調査を徹底的に行うようにとの趣旨の通達がなされ、これにもとづいて東京国税局長からそのころ管内の各税務署長宛に同旨の通達がなされたこと、東京国税局では右通達の趣旨にのつとり管内各税務署長に対し民商会員に対する税務調査を徹底するため従来とかく調査の妨害等を生ずる原因となつた民商事務局員の立会をさせないことや事前通知をしないことを指示し、更に同局の職員数名を川崎税務署等に応援のため派遣したこと、同年九月上旬ころから同税務署職員による川崎民商会員に対する税務調査が行なわれたが、その調査については調査カードや決算書等の調査資料により調査の必要性を各人毎に検討したこと、原判示収税官吏小沢二郎による福岡和彦に対する旧所得税法六三条所定の検査(以下本件検査と略称する)もその一つとして行なわれたものであることが認められる。以上認定の事実を綜合すると、本件検査をもつて民商弾圧のための一斉調査であるというのは当らない。したがつて、憲法二一条および同一二条を援用する所論は前提を欠くものといわねばならない。

また同法二八条の規定は使用者対勤労者の関係にたつ者の間において勤労者の団結権および団体行動権を保障した規定であると解すべきである(最高裁昭和二二年(れ)第三一九号同二四年五月一八日大法廷判決・刑集三巻六号七七二頁参照)。しかし、証人平柳治敏の供述(原審第一七回公判)と原審で取調られた神奈川県民主商工会規約、川崎民主商工会のしおりと題する書面とを綜合すると、被告人の所属していた川崎民商は神奈川県民主商工会川崎支部に属し、税金に関する指導と相談、税制の研究、改革の運動などを主たる目的とする団体であり、その構成員と国とは使用者対勤労者の関係に立つものではないのであるから、かかる団体には憲法二八条の保障する団結権は認められないことは明らかである。したがつて、この点に関する所論も採用できない。論旨はすべて理由がない。

弁護人趣意第三、同趣意補充一および被告人趣意第三点(いずれも事実誤認の主張)について。

一、福岡の所得税に関する調査について本件調査の必要性がなかつたとの主張について。

前記小沢証人の供述と原審で取調べた福岡和彦の昭和三六年度分と同三七年度分の所得税青色申告決算書とを綜合すると、福岡の所得申告額(専従者給与額を差引く前の額)は昭和三六年度分は八〇万五、一〇二円で同三七年度分は四九万六、〇七一円、売上申告額は昭和三六年度分は三三八万七、二三〇円で、同三七年度分は三六五万九、五五〇円、仕入申告額は昭和三六年度分は七四万一、二九六円で、同三七年度分は一〇五万一、三六七円であり、両年度を比較すると、昭和三七年度には売上金額では約八パーセント増加しているのに、所得金額では逆に約四〇パーセント減少しており、また売上原価を構成する仕入金額については約四一パーセント増加しているのに、売上金額については右のように約八パーセント増加したに止まつていること、福岡は昭和三七年三月に新たに自動鋸やモーター等を購入しているから、それ以後は同人の仕事の能率は相当向上しているものと考えられるのに同年度分の同人の所得申告額が前記のように著しく減少していることが認められる。以上の事実などによると、福岡の所得税の確定申告の内容に過少申告の疑いがあり、所得税に関する調査について本件検査の必要があつたということができる。前記小沢証人の供述によると、川崎税務署長が福岡の昭和三七年度分所得税確定申告の内容に対し更正処分をしなかつたことが認められるけれども、それだからといつて本件検査の必要性がなかつたということはできない。

二、所得税の調査を拒否できる正当な理由があつたとの主張について。

1、原判決は被告人が収税官吏の検査を妨げたという犯罪事実を認定しているのであつて、福岡がその調査を拒否したという事実を認定してこれを有罪としたものではない。そして、福岡が調査を拒否する正当の理由の有無は、被告人に関する検査妨害罪の成否とは直接関係のない事柄である。すなわち、仮に福岡に調査を拒否する正当の理由があつたとしても、同人が任意に調査に応じるならば、被告人はこれを妨げることは許されない。また、仮に福岡に調査を拒否する正当な理由がなかつたとしても、同人が調査を拒否するならば、被告人が調査を妨げる余地はないのである。

2、そればかりでなく、前記小沢、辻両証人、原審証人福岡和彦、同福岡とし子(原審第五回公判)の各供述を綜合すると、福岡は小沢が原判示帳簿や伝票を調査するため、福岡に対し同帳簿や伝票を見せてもらいたいと申し向けたのに対し、原判示第一の日は最初は記帳は妻がやつているから帳簿はどこにあるかわからないと答え、これに対し小沢から伝票だけでもいいから見せてもらいたいといわれると黙つてしまい、これに応じなかつたし、原判示第二の日は民商を通じなければ見せられないと答えるだけで同様これに応じなかつたことが認められる。以上の事実などによると、福岡に本件検査を拒否する正当な理由があつたと認めることはできない。

3、また旧所得税法六三条所定の検査実施の日時、場所の事前通知は法律上一律の要件とされているものではないと解すべきである(最高裁昭和四五年(あ)第二三三九号、同四八年七月一〇日第三小法廷決定参照)から、同通知がなされなかつたからといつて、本件検査が違法であつて、福岡にこれを拒否する正当な理由があつたということはできない。このことは所得のように事前通知をする慣行があつたとしても同様である。

三、検査未着手であつて妨害の対象が存在しなかつたとの主張について

旧所得税法七〇条一〇号の「検査を妨げ」とは現に行なわれている検査を妨げることだけでなく、検査をしようとしているのを妨げることをも意味するものと解すべきである。本件において、小沢が福岡に対し帳簿や伝票を見せるように促し、その検査をしようとしていたことは前記のとおりである。したがつて本件について妨害の対象がなかつたということはできない。

四、被告人の行為は正当防衛または自救行為であるとの主張について

前記(弁護人趣意第二および被告人趣意第二点ならびに弁護人趣意第三および被告人趣意第三点についての判断)説示のように本件検査は民商弾圧の目的でなされたものではないから、所論は前提を欠き理由がない。

五、被告人のその他の主張について。

収税官吏が旧所得税法六三条所定の検査をおこなうには調査の必要性を合理的客観的に明示しなければならないとの所論は独自の見解であつて採用できない。

なお弁護人の所論のうちに被告人に本件検査を拒否する正当な理由があつたと主張するやにみえる点があるけれども、原判決は被告人が本件検査を拒否したと認定しているものではない。

以上説明したとおり一ないし五はすべて理由がない。

弁護人趣意第四および被告人趣意第四点(法令適用の誤りの主張)について。

旧所得税法六三条七〇条一〇号が憲法三一条、三五条に違反しないことは前記説示のとおりであるから、右憲法違反を前提とする論旨一は前提を欠き理由がない。

本件検査は前記認定のように収税官吏である小沢が所得調査カードや決算書などの資料により福岡の所得税の確定申告の内容に過少申告の疑いがあると認めておこなつたものであるから、本件質問検査は具体的、合理的な根拠資料による必要性がないのになされたものであるということはできない。福岡においてこれを拒否すべき正当の理由はなかつたといわねばならず、被告人においてその検査を妨げる正当な理由があるべきはずはない。論旨二は理由がない。

弁護人趣意第五および被告人趣意第五点(理由不備、判断遺脱の主張)について。

弁護人が原審において所論のような主張をなしたこと、ところが原審が原判決中でこれに対する判断を明示していないことは所論のとおりである。しかし弁護人の右主張のうち正当防衛の主張以外は刑事訴訟法三三五条二項にいう法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実の主張に該当しないと解すべきであるから、同主張に対しては必ずしも原審が原判決中でその判断を明示しなければならないものではない。正当防衛の主張は同条二項の右主張に当るから、同主張に対し原審が原判決中で判断を示さなかつたことは同条二項に違反したこととなり、原審の訴訟手続には法令の違反が存することとなる。しかし、前記認定のように本件検査は不正な行為ではないから、これに対する被告人の行為は自救行為ないしは正当防衛に当るとの主張は前提を欠き採用できないことは明白であり、右訴訟手続の法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるということはできない。論旨は、理由がない。

弁護人趣意第六および被告人趣意第六点(訴訟手続の法令違反の主張)について。

原判決は前記小沢、辻両証人の供述により小沢が福岡の所得税確定申告に過少申告の疑いがあつて本件調査に赴いたことを認定しているのであるが右小沢、辻両証人は右福岡の確定申告書を直接点検したのではなく、所得調査カードの選定事項欄に同人の申告に過少申告の疑いがある趣旨の記載があつたのを見るなどしてこれに基づいて供述したこと、右調査カードは原審においてその取調をしなかつたことは所論のとおりである。しかし、質問、検査の必要性を収税官吏が判断する資料については所論のような証拠法則上の制限があるわけではない。前記小沢、辻両証人の供述によると、小沢は右調査カードなどの資料により右福岡の昭和三七年度分所得税確定申告に過少申告の疑いがあつて検査の必要を認めたというのであり、その判断が相当であつたことは弁護人趣意第三に対する判断一に説明したとおりである。原判決の訴訟手続には何ら法令の違反は存しない。論旨は理由がない。

弁護人趣意補充二(事実誤認の主張)について。

旧所得税法六三条所定の収税官吏による検査はその範囲、程度など実定法上特段の定めのない実施の細目については検査の必要があり、かつこれと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまるかぎり、収税官吏の合理的な選択に委ねられていると解すべきである(前記最高裁決定参照)。前記小沢、辻両証人の供述を綜合すると、小沢が原判示のように検査しようとした帳簿等が昭和三八年度分のものであることは窺われるけれども、右帳簿等を検査することにより得べき資料は福岡の昭和三七年度分所得税確定申告の内容に過少申告の疑いがあるか否かを判断する一資料となりうることや原判示のように小沢は福岡方に赴いて同人に対し右帳簿等の提出を求めたものであることや右帳簿の提出を求めた時間、方法などに徴すると、小沢が右帳簿等を検査しようとしたことは福岡の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度内のものであり、しかも小沢の収税官吏としての合理的な選択の域をでたものとは認められない。論旨は理由がない。

弁護人趣意補充三(事実誤認の主張)について。

所論については本件について最高裁判所が、旧所得税法七〇条一〇号は同法六三条一号ないし三号所定の者の行為のみを処罰するいわゆる身分犯を定めた規定ではないと解すべきであると判断している(最高裁昭和四三年(あ)第一四四五号同四五年一二月一八日第二小法廷判決・刑集二四巻一三号一七七三頁参照)から、当裁判所はその判断に従う。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法一八一条第一項本文を適用してこれを全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 三井明 判事 石崎四郎 判事 杉山忠雄)

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